沿革
国際救命救急協会の起源
あなたにとって一番大切なものは何ですか?愛する家族ですか・・・・・名誉ですか・・・・・お金ですか・・・・・でもなんといっても生命ではないでしょうか?
その大切な生命を脅かす「急病や怪我」「交通事故」「労働災害」「自然災害」「犯罪事件」等々身の回りにはたくさんあります。
澤木勇二(前理事長)は学生時代、一命は取り留めたものの山岳遭難事故の経験をきっかけに、特に山岳事故のように救急車の来てもらいえない場所での救急自体に役立てようと、日本赤十字社の救急法指導員の資格を取り、山仲間を始めに徐々に各方面の人々に普及の輪を広めてまいりました。
当時の救急法は「人工呼吸」を行うことはできても、心臓が止まった人に行う「心臓マッサージ」は”危険だから”とか”医師法に抵触する”といった誤った考えから「一般市民は心臓マッサージをしてはいけない!」と禁じられておりました。
山とはいわず、街の中でも、もし心停止の人を発見し、救急車を要請しても到着まで数分かかり、まして医師の手に委ねるには数十分かかり、それから救命処置をはじめても救命率は極めて低く、発見後すぐにバイスタンダー(居合わせた人)によるCPR(心肺蘇生法)を行っていれば救命率が一段と向上し、欧米ではすでに一般市民によるCPRが行われて救命率向上に貢献しておりました。
そこで澤木勇二(前理事長)は米国に行き、米国に行き、「AHA=米国心臓協会」のCPRインストラクターの資格を取得し、帰国後は「米国の資格」といった抜け道を使い一般市民を対象とした「CPR 資格取得セミナー」を全国各地開催していたところ、国や各種団体から「こういうことは国や医師が行うべきであって一般人が行ってはいけない!」といった再三の圧力がありました。
何とかこういった既成概念を打破しなければ前進しないと考え、当時の日本の救急医学会の第一線で活躍されていた12名の大学医学部教授の後ろ盾を得て、1985年2月に「国際救命救急協会」を設立し、堂々とCPRの普及に努めてまいりました。
その後、日赤や消防機関でも遅ればせながらCPRが解禁され、現在では様々なスポーツトレーナーの資格取得に必須となる等、一般市民に少しずつ浸透し始めております。
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